デカヘッド時代の幕開け「チタンドライバー」 一周回って考える進化の方向性
長年、雑誌企画を作るための資料として所有してきた古いクラブ類を整理していきながら、処分品を題材にコラムを書いていこうと始めた本連載。第4回は「デカヘッド時代」を決定づけた大ヒットドライバーの話を書いてみたい。
いつか雑誌の企画で使うだろう――。その一念でクラブ進化のターニングポイントとなった関連アイテムを集めてきたが、写真の1995年製「グレートビッグバーサ ルガー・チタニウム」(キャロウェイゴルフ)は、特に誌面に登場する回数が多かった。どこかで見た記憶のある読者もいるのではないだろうか。
1991年に体積190ccを超える大型ドライバー「ビッグバーサメタル」を登場させたキャロウェイゴルフは、すぐにより大きなヘッドの開発に着手する。当時の開発背景を筆者が雑誌社勤務時代にまとめた、開発責任者のリチャード Cヘルムステッター氏の回顧録から抜粋してみよう。
「大きなメタルヘッドのドライバー。そう、ビッグバーサメタルの登場でドライバーが初めてゴルファーの友達になったんですよ。それまでのドライバーはさ、とてもヘッドが小さくて難しかった。でしょ? ヘッドを大きくすればミスヒットしても大丈夫。そのことを世界中のゴルファーが知ったんです。でも、残念ながらステンレスではもうあまりヘッドを大きくすることができなかったんですよ。ステンレスは薄くすると割れてしまうんです。そこでチタンならどうか?となったんです。チタンは強度が高くて薄くできる。つまりより大きくできるのです」(ヘルムステッター氏)
今でこそドライバーヘッドの素材としてチタンはポピュラーだが、90年代前半ではまだクラブヘッドへの転用はほとんど進んでいなかった。どこで製造してくれるのだろう? と、鋳物工場から探さなければならない状況だったという。
「グレートビッグバーサの開発は、結局ルガー社(Sturm Ruger & Company)と一緒にやったんですよ。そう、有名な銃器メーカーです。当時は、ルガー社くらいしかチタンの鋳造をできる工場がアメリカにはなかったんですよ。だから、初期のグレートビッグバーサには『RUGER TITANIUM』と入っているんです」(ヘルムテッター氏)
ヘッド体積を250ccまで大きくした「グレートビッグバーサ」は、キャロウェイゴルフの認知度をさらに高める大ヒット作。世界中から入る大量の注文に対応するために、畑違いのルガー社ではなく、アジア圏で急速に発展していたゴルフクラブのヘッド工場へと、その生産拠点を移すことになるのだ。そして、ヘッドのソールから『RUGER TITANIUM』の文字が消えるのである。
「グレートビッグバーサは工場が変わったときを含めて、何度か重心設計を変更しています。そう、ランニングチェンジです。だから、グレートビッグバーサの最初のモデルと最後のモデルではかなり違うヘッドになっているんですよ」(ヘルムテッター氏)
キャロウェイゴルフは2年後の97年に290cc超えの「ビゲストビッグバーサ」を発売するが、実はこれが少し時期尚早だったという。当時、キャロウェイゴルフのドライバーを使用していたシニアツアーのプレーヤーから、「ヘッドが大きすぎて気持ち悪い!」というフィードバックが多く寄せられた。このため大人気だった「グレートビッグバーサ」の製造も継続され、何度かランニングチェンジできるほどのロングセラーとなったのだ。
今や290ccは「ミニドライバー」と呼ばれてしまう領域だが、90年代半ばのプレーヤーにとっては、まさに巨大で構えにくい代物だった。たった5年で100cc以上ヘッドが膨らんでしまったのだから、違和感を抱いて当然である。親しまれるゴルフ道具となるには、いくら機能性が高くても一足飛びに進化させたのではダメ。プレーヤーに慣れる猶予を持たせることが必要なのだと、ヘルムステッター氏は「ビゲストビッグバーサ」で学んだという。
ちなみに「ビゲストビッグバーサ」の次のモデル「グレートビッグバーサ・ホークアイ」は99年に登場。ヘッド体積は250ccだった。大きく作る技術があるのに、あえて小さく作ったニューモデル。そのユーザー本位の開発が、別の進化の方向性に気づくきっかけとなる。その話は次回といたします。(高梨祥明)

高梨祥明(たかなし・よしあき) プロフィール
20有余年ゴルフ雑誌のギア担当として、国内外問わずギア取材を精力的に行い、2013年に独立。独自の視点で探求するギアに対する見解は、多くのゴルファーを魅了する。現在は執筆活動のほかマイブランド「CLUBER BASE(クラバーベース)」を立ち上げ、関連グッズの企画や販売も行う。