「キャロウェイ」ではなく「キャロウェイゴルフ」なんだ 一周回って考えるクラブの進化
長年、雑誌企画を作るための資料として、所有してきた古いクラブを整理していきながら、処分品を題材にコラムを記していく本連載。第2回は、古めかしい真鍮(しんちゅう)製の南京錠がテーマ? いやいや、伝えたいことはそこに刻まれたブランドロゴに隠されている――。
キャロウェイゴルフは、1982年に創設された比較的に新しいメーカー。創設者は実業家のイリー・リーブス・キャロウェイ(ERC)氏で、同社の開発チームに籍を置き、業界に革命をもたらす数々の開発を牽引してきたのが、リチャード・C・ヘルムステッター(RCH/通称ディックさん)氏であった。
筆者は、2000年代初めからゴルフ誌のギア担当として度々、本拠地であるカールスバッドに赴き、年に数度ディックさんの執務室で話を聞く幸運に恵まれた。同社で働く前はビリヤード用品の老舗「アダム商会」を営み、20年近く日本で暮らしていたディックさん。日本語も堪能で、インタビュー中に発せられた言葉は、メモを取らずとも四半世紀近く経った今なお、心の底に刻まれている。
「タカナシさん、アナタさっき“キャロウェイ”って言っていたデショ? NO、ヤメテクダサイ。私らは“キャロウェイゴルフ”。必ず“ゴルフ”を付けてクダサイ」
コレクションの中に「RCH」の刺繍を見つけたとき、ディックさんの言葉がよみがえった。彼がインタビューを中断してまで伝えたかった想い。それは、日本のゴルファーに最も分かってほしいことと、当時からすでに直感していたことを思い返す。ゴルフメディアの人間として、開発者の想いをしっかりユーザーに伝えなければならない、と襟を正した記憶。
「日本にはアメリカよりたくさんのメーカーがアリマス。でしょ? 我々よりもずっと大きな会社がいくつもあるんです。デモ、そのブランドは他の仕事もシテイマス。タイヤを作ったりさ。でしょ? 我々は違う。毎日、ゴルフのことだけ。ゴルファーだけを見ているんデス。だから、社名は“キャロウェイゴルフ”と呼んでほしい」
それから私は「キャロウェイ」と呼ぶのも、原稿に記すことにも抵抗を感じるようになった。今でも、それは変わらない。誰かが「キャロウェイ」と口にするだけで、拒否反応を示してしまうし、「キャロウェイ」呼びが一般的になった現状を、とても寂しく思っている。
2024年、ディックさんが他界されたと聞いた。
昨年は、私がゴルフ雑誌の編集者を目指すきっかけとなった老舗のゴルフ誌が休刊となった年でもあり、訃報に接したときは「時代が変わった」と思わずにはいられなかった。それがコレクションの整理を始めた契機でもある。
今回、実は同社の隆盛の足掛かりとなった「ビッグバーサ」シリーズについて書こうと思っていたが、「RCH」の文字を見た瞬間に気が変わってしまった。今だからこそディックさんの想いを改めて伝えよう。
ディックさんの言葉と眼差しから伝わったゴルフ専業としての誇りと覚悟。なぜキャロウェイゴルフが前例のない革新を生み続けているのか――。答えはたぶん、そこに集約されている。(高梨祥明)

高梨祥明(たかなし・よしあき) プロフィール
20有余年ゴルフ雑誌のギア担当として、国内外問わずギア取材を精力的に行い、2013年に独立。独自の視点で探求するギアに対する見解は、多くのゴルファーを魅了する。現在は執筆活動のほかマイブランド「CLUBER BASE(クラバーベース)」を立ち上げ、関連グッズの企画や販売も行う。